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元サラリーマンから寿司職人へ転職。シンガポールで夢の寿司屋開業を実現した古賀督尉さん。

古賀督尉さん(こが・ただやす)

シンガポールでサラリーマンをしていた古賀督尉さん。母親の認知症介護をきっかけに、日本に帰国したことが人生の転機に。親の介護を経験した後、かねてからの夢だった料理人になることを決意。様々な経験を経てたどり着いた寿司職人という道、その過程と挑戦、そして飲食人大学での学びについて語ります。

《経歴》
1990年3月 国立大学大学院 卒業
1990年4月〜 日用品メーカーに就職
2021年10月〜 持続可能化学品メーカーに転職
2023年3月 飲食人大学(大阪校)寿司マイスター専科で修業
2023年7月〜 シンガポール「寛寿司」にて勤務
2024年8月〜 シンガポール「Sushi KOGA」開店

人生の転機は突然に。サラリーマンから寿司職人を目指す。

——飲食人大学に「入学されるまでの経緯やご経歴」を教えてください。

サラリーマンをしていましたが、母が認知症になり、当時住んでいたシンガポールから日本に帰らなければならなくなりました。母の認知症に対して医師と協力して対応することができ、最終的に母は施設に入所し、父が認識できずに家で暴れていた問題も解消されました。

ある程度、母の介護サポートができたと感じた後、次は何をしようかと考えました。せっかく様々な経験をしてきたので、以前から憧れていた料理人になることを決意しました。10年以上前から「生まれ変わったら料理人になりたい」と言っていたんです。それで、生まれ変わるのを待つよりも、今の人生でやってしまおうと思いました。

そんな時、「飲食人大学」がアンテナに引っかかり、大阪校の小林先生に相談させていただいた後、2023年1月に入学しました。

——飲食業の中でも、なぜ「寿司」を選んだのですか?

まず第一に、お寿司が好きだったというのがあります。小さい頃から、父のボーナスが出たらお寿司が食べられるという、いわゆる「ハレの日」の楽しみにしていた特別な食事だったんです。

それから、シンガポールで何度か寿司カウンターで食事をした時の経験があります。大将が止まらないくらいお魚や寿司の話をしてくれて、とても楽しそうだったんです。私もそれがとても楽しくて、自分もそういうことができたらいいなと思いました。

最後に、以前の仕事やボランティアの経験から、自分が楽しんで没頭できることを通じて、周りの人やお客さんを巻き込んでいくのがとても面白いと感じていました。自分が楽しくやっていると、全体の雰囲気も楽しくなるという経験をしてきたので、そういったことを寿司の世界でも実現していきたいと思い、寿司職人の道を選びました。

目が行き届いた少人数制の授業で成長スピードアップ。

——寿司職人を目指すにあたって、「飲食人大学」で学ぼうと思った理由を教えてください。

技術を学ぶ上で、長年の修業ではなく短期間で学べることを重視しました。飲食人大学がそれを実現していると感じました。また、実践に重きを置いているところが大きな魅力でした。

——飲食人大学は料理未経験の方が多い大学ですが、古賀さんの入学前の料理経験や、お寿司の技術経験はいかがでしたか?

料理が好きで週末にいろんなジャンルの料理を家族と一緒に作って食べたりしていたので、ある程度のことはできるかなと思っていました。

しかし、実際に入学してみると、「こんなに自分はできないんだ」と逆に思い知らされましたね。自分の技術レベルを再認識する良い機会になりました。

——実際に「飲食人大学」に入学してみて、いかがでしたか?

まず、体力勝負だなと感じました。特に魚の処理は途中で止められない作業が多く、日によってはお昼ご飯が昼過ぎになってしまう日もありました。卒業後に寿司屋で働いてみて、これが業界では当たり前のことだと分かりました。そういう意味では、時間の上手な使い方を考えさせられる良い機会だったと思います。

実技面では、水洗いから3枚おろしまでを徹底的に練習しました。握りは練習すればできるようになるからと、基本的な技術に集中しました。結果的に、ある程度体で覚えるレベルまで達したと思います。これはとてもありがたかったです。

座学の面では、先生方の説明が一歩踏み込んだものだったのが印象的でした。それぞれの技術や手順に理由があることを教えていただき、とても学びやすかったです。私は計画を立てて実行するタイプなので、理屈が欲しかったんです。

一方で、実技では「まずやってみなさい」という姿勢も大切にされていました。私は考えながら行動するタイプで作業が遅かったのですが、学校なので「失敗してもいい」と教えていただいたところが、失敗を恐れずにまずは行動することも学べました。

また、10名のクラスでしたが、先生方の目が行き届いていて、私が何かおかしなことをしているとすっ飛んできてくれるんです。これのおかげで、学習のスピードが速かったと感じています。まだまだ伸びしろはありますが、素人同然だった私がある程度のことができるようになったのは、本当にありがたかったです。

シンガポールでの修業を経て、「Sushi KOGA」誕生。

——飲食人大学「卒業後の進路」や、今の現在の仕事内容を教えてください。

年齢的なこともあり、元々自分で店を持って経営していきたいという目標を掲げていました。そのため、卒業後まず最初に行ったのが、実践的な経験を積むことでした。

正直、学校に通っている時は、授業の内容を消化するのに必死でした。卒業間際にある実際に寿司を提供する授業では、チームを組んで準備し、一通りのことは経験しましたが、全てを自分で準備して提供するまでには至っていませんでした。

そこで卒業後、家族や友人に声をかけて、寿司を振る舞う機会を作りました。何度も最初から最後まで全て自分で準備し提供することで、一人で全てを行う場合の流れをつかむことができました。しかし、まだ実践力に不安があり、すぐに店を開くのは難しいと感じました。そこで一旦シンガポールに戻り、就職活動を始めました。

シンガポールの中でも本格的なおまかせ寿司を提供している「寛寿司」という店に就職し、実際に店で働くことで多くのことを学びました。店の経営やメニュー作り、魚の捌き方など、様々な面で経験を積みました。しかし、お店はチームで動いていますし、下っ端として入ったため水洗いやちらし、巻き寿司作りなどがメインで、仕上げや握りの作業などは主に一番上の方が行います。その順番を待っていると10年はかかってしまうのではないかと感じました。そこで、やはり自分で店を持つという元々の目標を実行に移すことにしました。

自分の店と言っても最初は小さなカウンター程度の店を考えていました。しかし、シンガポールではそのような小規模な寿司店は少ないため、店舗物件も数少なく、まずは法人を設立し、プライベートシェフとして活動を始めることにしました。そして、それをやりながら、物件を探そうと考えていました。

そんな中、偶然にも40年以上寿司職人をされていたシンガポール人の大将が引退するにあたり、店を譲りたいという方とご縁がありました。お互いの希望が一致し、その店を譲り受けて自分の店を始めることになりました。

お店は、2024年8月中旬に無事オープンをいたしました。店名は「Sushi KOGA」で、私の役職は日本で言う「代表取締役 兼 寿司職人」で「マネージングディレクターアンド寿司シェフ」という形になっています。

——飲食人大学の学びの中で、前職の「寛寿司」や今の仕事に活かせていることはありますか。

まず、基本的な技術が非常に活かせていると思います。私の場合、まだスピードは遅いですが、魚の扱いなど基本的なところはできるようになりました。これは大きな強みだと思います。

飲食人大学で基礎をしっかり学んだおかげで、お客様に提供できる料理の質が保証されています。あとは作業のスピードを上げることと、魚の種類に関する知識を広げていく必要があります。魚は何万もの種類がある世界ですからね。

——今の仕事のやりがいや、仕事において大切にされていることを教えてください。

私自身がお寿司作りや魚をさばくこと、水洗いなどを楽しんでいるということです。今朝もコハダをさばいていましたが、いつまで経っても学ぶことがあり、非常に楽しいんです。そして、その楽しさが他の魚や貝にも挑戦してみたいという気持ちに繋がっています。そうやって経験を重ねていくうちに、「このお魚をお客様に食べていただきたい」「この貝が今ちょうど旬なんです」といった思いが生まれてきます。

私の場合、つい話し過ぎてしまうところがあるかもしれませんが、お客様が来店された時、その方に合わせてお話しすることを心がけています。「Sushi KOGA」に来れば旬の魚が食べられる、手作りで妥協のない料理が提供される、そして最終的にお客様に楽しんでいただけるということに繋がるのではと思っています。

手作りにこだわる本格寿司。食材から調理まで、一切の妥協なし。

——「Sushi KOGA」のこだわりや特徴を教えてください。

飲食人大学で学んだ基礎的なことを大きく活かし、魚はもちろん、前菜などの和食についても、出来合いのものに頼らず、自分で納得したものをお客様に提供することを基本にしています。

採算も考慮しなければなりませんが、手作りにこだわることを強みにして、特徴を出していきたいと思っています。カウンター10席の小規模なお店ですので、大勢のお客様を相手にするキャパシティはありません。そのため、手作りのお寿司を味わっていただくという方向性を続けていきたいと考えています。

ほとんどの食材、特に魚は日本産のものを使用して品質を確保し、おまかせのフルコース(前菜や焼き物などがあるお寿司のコース)は日本円で言うと約1万5千円から2万5千円の3種類のコースで提供し始めています

——海外における寿司職人の仕事で苦労されたこと、気をつけていることがあれば教えていただけますか。

国によって違いはあると思いますが、魚の確保が非常に難しい場所もあるでしょう。シンガポールに関して言えば、週に4日は空輸便が来る体制が整っています。そのため、金額の問題は別として、欲しい魚はほぼ豊洲などの市場から入手できます。ですので、その点での苦労はありません。

しかし逆に、シンガポールは寿司屋の数が多く、競争が激しい世界です。そのため、他店との差別化、特徴を出していくことが重要です。そうしないと価格競争に巻き込まれ、経営が立ち行かなくなる可能性もあります。この点は特に注意が必要だと思います。

小さな一歩の積み重ねが大きな成果に繋がる。

——今後の夢や目標について教えてください。

まず、お店を軌道に乗せることが第一の目標です。そのうえで、私はお客様に寿司や和食の世界、さらには日本の文化を味わっていただきたいと考えています。ただ単に食べるだけではなく、例えばお寿司を実際に作ってみるなど、体験できる機会を提供したいです。これが、お店の特徴づくりにもつながるのではないかと思います。

また、日本やシンガポールの料理文化などを情報発信していくことも視野に入れています。将来的にはシンガポールだけでなく、他の国に旅してコラボレーションをするなど、楽しいことができればと考えています。

——最後に、入学を検討されている読者にメッセージをお願いいたします。

10年ほど前に、ノーベル賞を受賞された根岸英一先生のお話を聞く機会がありました。そのときの言葉が今でも印象に残っているので、少しご紹介させてください。

根岸先生は、「ノーベル賞は誰でも取れるよ」とおっしゃっていました。一見無理に思えるかもしれませんが、先生の話を聞いて、私自身も気持ちが楽になり、行動に移しやすくなったんです。その内容というのは、ノーベル賞を取る確率が1,000万人に1人だとなので、非常に難しいように感じますが、先生は「10分の1の確率を7回掛け合わせると1,000万分の1になる」と考えてみたらとおっしゃったんです。

私なりに解釈すると、例えばシンガポールでお寿司を提供すること自体が、日本では普通のことでも、シンガポールでは非常に珍しいことです。これによって、10分の1や100分の1の貴重さが生まれるわけです。寿司職人になることやお寿司屋さんを始めることは、1,000万分の1の確率ではなく、もっと現実的な目標だと思いますが、それでも魚をさばく技術など、特定のスキルが必要です。このようなスキルを持っている人はやはり少なく、10分の1や100分の1の貴重な存在となるのです。

飲食人大学に入学することで、そのようなスキルを一定のレベルまで習得できるでしょう。そして、それぞれの方が持つ特技や特徴を掛け合わせることで、目標達成に一歩近づくことができると思います。実際に飲食人大学に入ると、お寿司の世界で一緒に頑張れる仲間もできますし、それがさらに「10分の1」の要素を加えることになるのではないでしょうか。

店舗情報

【店名】Sushi KOGA(鮨古賀)

【住所】70 Shenton Way #01-21 Eon Shenton Singapore 079118

【問合せ】+65-9784-4949 

     (メッセージもしくはWhatsAppでお願いいたします。※完全予約制)

【営業日】水・木・金・土曜日

【営業時間】18:00〜22:00

【定休日】月・火・日曜日

【公式HP】https://sushikoga.com/

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