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手伝う気はなかった実家の寿司店。父に根負けして入った寿司の世界で、星竜太郎さんが得た学びと夢

飲食人大学で学ぶ方の中には、寿司業界の経験者もいます。今回は地元・宮城県で、父親の営む寿司店を手伝う経験を持ちながら飲食人大学の門を叩いた星竜太郎さんにインタビュー。星さんはなぜ飲食人大学に入り、どんな学びができたのでしょうか。お話を伺いました。

プロフィール

星 竜太郎(ほし・りゅうたろう) 

鮨くまくら 寿司職人

1997年生まれ。宮城県塩釜市出身。父親が寿司職人で、実家で寿司店を営む環境で育つ。高校を卒業後は父親の知人が経営する回転寿司店で見習いとして働き、競りなどの仕入れも経験。独学で魚のさばき方などを身につけながら、半年後には実家の寿司店で働き始める。コロナ禍で時間に余裕ができたことをきっかけに、江戸前寿司を学びたいと上京。2021年7月より飲食人大学で学び、9月に卒業。2022年7月より現職。

興味のなかった寿司の世界に入ったわけ

――まずは星さんが寿司職人になろうと思った理由について、教えていただけますか?

実は高校を卒業するまで、寿司職人になろうとは思っていなかったんですよ。高校でバンドをやっていたこともあって、音楽活動をもう少しきちんとやりたいと考えていました。

――そうだったのですね。そこからなぜ、寿司の世界に入ることになったのでしょう?

寿司店を営む父の想いに根負けしたからです。小さなころから、「将来はうちの店を手伝ってくれ」と言われていたんですね。高校を卒業するタイミングで改めて「期間限定でいいから、寿司の世界で働いてほしい」と懇願されました。

それで、2年だけなら働いてみてもいいかと、寿司の世界に入ることにしたのです。最初は父の知人が経営する回転寿司店で、半年ほど見習いとして働きました。そのうちに魚が好きになり、実家で働くようになってからは「どうしたらおいしい寿司を握れるのか」を探究しはじめ、気づけば寿司の道をさらに極めたくなっている自分がいました。

――寿司に全く興味のなかった星さんが、魚を好きになれたのはどうしてですか?

見習いとして入った父の知人のお店で、仕入れを学ばせてもらったことがきっかけです。私の地元は宮城県塩釜市で、マグロの水揚げで有名な「塩釜漁港」があり、日々鮮度の良いさまざまな魚が入ってくるんですね。競りに行くと、いろいろな魚を見ることができて面白くて。

そこから魚の種類を覚えるようになり、仕入れを手伝ったご褒美として魚をもらって独学でさばいているうちに、私の中の探究心に火がつきました。血抜きや塩加減など毎日工夫を凝らしながら、どういう状態で保存したら一番おいしい状態で食べられるのかを研究していましたね。

今思えば、そういった競りに参加して魚を見極める目を養わせてもらえたこと、試行錯誤して魚をさばく経験を積ませてもらえたことは、貴重な時間でした。東京では絶対に経験できなかったと思います。

日本文化を担う寿司職人として、意識と技術を学んだ3か月間

――星さんはそのまま地元で寿司職人になる道もあったと思うのですが、なぜ飲食人大学に入学したのですか?

実家を手伝ううちに、江戸前寿司に興味を持つようになったからです。きちんとした江戸前寿司の握り方を、発祥の地である東京で学びたいと思いました。それでいろいろと調べるうちに、飲食人大学のホームページを見つけて。ここでなら学びたかったことを学べると感じ、飲食人大学に入学することを決めました。

また、コロナ禍もひとつのきっかけになりましたね。コロナによってお客さんが減ってしまい、店には私が抜けても対応できるくらいの余裕があったんです。学ぶならこのタイミングしかないと思い、父に「東京で勉強したい」とお願いして、3か月だけ休みをもらって上京しました。

――実際に入学してみて、飲食人大学での学びはいかがでしたか?

とても勉強になりました。尾上先生のクラスに入ったのですが、先生は厳しいながらも、魚への愛情と寿司への情熱、確かな技術を持っている方なんですね。だから、先生が指導してくださったとおりに寿司を握ると、本当においしく出来上がる。飲食人大学に通い始めた当初から、「この先生に教われば間違いない」と感じていました。

寿司業界を数年経験した上で入学しましたが、そんな私でも、飲食人大学はキャリアアップの場として最高の学校だと思いましたね。

――尾上先生の指導の中で、最も印象に残っている言葉はありますか?

「仕込みに入るときからお客様の笑顔を思い浮かべなさい」という言葉と、「仕事をするときは丁寧さと美しさを意識しなさい」という2つの言葉が印象に残っています。

寿司職人として、お客様に寿司を提供することはゴールではありません。おいしい寿司を食べて、笑顔になっていただくことが最終的に目指すべきところです。そのためには、その日のネタを仕込む段階から手を尽くす必要があります。寿司職人としてあるべき姿を振り返ることができました。

また、「丁寧さと美しさを意識すること」については、寿司職人として日本の文化を背負っている自覚を持つ大切さを学びました。実家にいた頃は自覚がなかったのですが、私は寿司を握るとき、どうもバタバタとせわしなく仕事をするタイプだったようなんです。その姿を見た先生から、「丁寧さが足りない。美しくない」と指導していただきました。

寿司は日本の文化ですから、日本人の根底に流れる「命をいただく」という考え方や、つつましく凛としたたたずまいを良しとする美意識が背景にあります。寿司職人はカウンターという舞台に立ち、そういう日本文化ならではのふるまい方を意識しながら接客すべきだという考え方は、いち寿司職人として新たな発見でした。

――寿司を握る技術だけでなく、寿司職人としての姿勢やふるまい方も大きな学びだったのですね。

そうですね。飲食人大学で学んだ3か月間は、本当に濃密な時間でした。宮城県からわざわざ時間とお金をかけて、覚悟を持って東京に来ましたから、絶対に無駄な時間にはしたくなかったんです。

だから、授業で教えてもらったことは一言一句逃さないようにメモしましたし、帰宅したら復習としてノートにまとめ直しも行っていました。分厚くなったこのノートは、今もバイブルとして手元に置いてあります。尾上先生のもとで学ぶことができて、本当に良かったです。

経験をかけ合わせ、いずれは地元で愛される店を開きたい

――現在は実家の寿司店でお仕事をされているのですか?

いえ、今年の6月までは実家で働いていたのですが、7月から恵比寿にある高級すし店「鮨くまくら」で働いています。

――なぜ実家の寿司店をやめて、現在の職場に移ったのですか?

20代のうちに地元を離れて、東京でチャレンジしてみたかったからです。実家を手伝う中で、ずっと親元にいて外の世界を知らないことが果たして良いことなのかと気にかかっていたんです。

実家も人手が足りているわけではないので、上京して働くことに対しては、父から最後まで止められました。でも、失敗してリカバリーができるのは若いうちだけ。今挑戦しなければ絶対に後悔すると思い、半ば父の説得を振り切るかたちで、恵比寿にやってきましたね。

――現在の職場に出会ったきっかけを教えてください。

親友の紹介です。ただ、当初は実家を離れることができないと思っていたため、親友の誘いを断っていました。

でも、「交通費も出すから、話だけでも聞いてみて」と連絡をもらう中で、東京で働いてみたい気持ちが湧き上がってきました。一度だけでも話を聞いてみようと、上京して現在の親方とお会いしたところ、銀座で腕を振るっていた親方の元でなら新たな経験を積めそうだと感じました。地方出身者にも働きやすい環境が整えられていたこともあり、今の職場で働くことに決めました。

――まだ働き始めたばかりだとは思いますが、現在のお仕事はいかがですか?

おもしろいことも、悔しいことも、両方ありますね。

地元ではあまり触れることのなかった鱧(はも)の捌き方だったり、親方の調理技術や接客スキルだったり、毎日新しいことに触れられるため本当におもしろいですし、学びも多いです。

一方で、同じ魚の扱い方でも、地元で覚えたことと親方から教わることに大きな違いがあったりして、親方のやり方を覚えることに苦労することもあります。「あれ、俺って魚をおろすのこんなに遅かったっけ」と、寿司の世界で働いてきたのに半分素人のように感じるときもあって、悔しい思いをする日もまだまだ多いです。

でも、この苦しい時期を乗り越えれば、寿司職人として一段成長できる気がしています。辛抱して頑張りたいです。

――今後の目標についても教えてください。

35~40歳くらいで、地元に自分の店を開きたいです。東京に来て思うのですが、やはり地元の魚は鮮度が良く、一番おいしい。そんな地元のとれたての魚を、今の職場で身につけた高級店の技術とやり方で調理すれば、最高の寿司や和食を提供できるように思います。

実家で覚えたこと、飲食人大学で学んだこと、鮨くまくらで身につけたことをかけ合わせながら、地元の方に愛される店をつくりたいです。

――最後に、飲食人大学を検討されている方にメッセージをお願いいたします。

飲食人大学は、3か月間の学びに本気で向き合えばスキルの身につく学校だと思います。寿司の世界を少し経験していた私も、学びになることがたくさんありました。夢があるなら、ぜひ挑戦してほしいですね。自信を持っておすすめできる学校です。

飲食人大学では、無料の相談会を実施しています。具体的なコース内容、卒業後の進路など気になることがあれば、お気軽にご相談ください。

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