お笑い芸人から寿司職人をめざす。飲食人大学での学びを経て広がった、古家後惣一さんの新たな夢とは
飲食人大学で学ぶ方の中には、異業種から寿司職人に挑戦する方も多くいらっしゃいます。
今回インタビューを行った古家後 惣一(こやご そういち)さんもその一人。お笑い芸人から寿司職人に転向しました。全く異なる業界から寿司の世界に入った古屋後さんは、どのような想いで寿司職人を目指し、飲食人大学で学び始めたのでしょうか。今後の夢や目標も含めて、語っていただきました。
プロフィール
古家後惣一(こやご・そういち)
江戸前スタンドとろ安 寿司職人
1984年生まれ、大阪府出身。「お笑い」もできる寿司職人。
大学のサークルでアマチュアのお笑い芸人として活動。在学中にお笑い芸人養成所に通い、大学卒業後は松竹芸能に所属。お笑いコンビ「オレンジエンペラー」で活動後、2006年8月より漫才コンビ「カメレオン」を結成。2年9か月ほど活動した後、コンビを解散して事務所を退社、フリーのお笑い芸人「コヤゴ星人」として12年間活動した。2022年3月からはお笑い芸人としての活動をほぼ休止し、現在は駆け出しの寿司職人として、大阪の「江戸前スタンドとろ安」にて勤務中。
コロナ禍をきっかけに、「お笑い」から「寿司」の世界へ
ーーまずは、古家後さんのこれまでのご経歴について教えてください。
大学を卒業後は、2022年の春まで15年間、ずっとお笑い芸人として活動してきました。お笑い芸人になったのは、自分の芸で誰かを笑顔にする仕事に憧れていたから。「お笑いの聖地」とも言われる大阪で生まれ育ったこともあり、ずっとお笑いが好きでした。
松竹芸能に所属して漫才コンビで3年ほど活動した後、12年ほどピン芸人として最近まで活動を続けていました。私の芸が求められる場所があるのなら、全国どこへでも巡業して、お笑いの舞台を披露していました。「多くのお客様を笑顔にしたい」と夢を追いかけた15年でしたね。
ーーお笑いの世界から寿司職人へと転向したのは、どうしてですか?
お笑い芸人の活動を一旦やめようと決意した直接的なきっかけは、コロナ禍でした。対面のライブができなくなったことで、もともと少なかったお笑いの仕事がほとんど消えてしまったんです。これまでもアルバイトを掛け持ちしながら、妻と子と生活してきましたが、お笑いの仕事が激減したことで、仕方なくアルバイトをさらに増やすことになりました。待っていたのは、朝から深夜まで働く生活。次第に疲弊して、自分を見失うようになりました。アルバイトも私生活も、わずかに残っていたお笑いの仕事も、すべてが上手くいかない悪循環に陥ってしまったんです。
そんな自分に気がついたとき、「このままではダメだ」と思い切って別な世界に飛び込むことを決意しました。飲食店でのアルバイト経験が多く、私としても飲食業に興味があったため、寿司の世界に入ろうと思い立ったのです。
ーー飲食業の中でも、なぜ「寿司」を選んだのですか?
2年ほど行っていた宅配寿司のアルバイト経験がきっかけです。宅配寿司のお店で働く中で、お寿司は本当に幅広い年代に好まれ、誕生日や七五三など、特別な時間を彩ってくれる食事なのだということを実感しました。そういうお客様の特別な時間と、そこで生まれる笑顔に携われていることが楽しかったんです。
日本人にとってお寿司は欠かせない料理ですし、今は海外でも人気があると聞きます。今後も1つの仕事として、寿司職人の需要は消えないだろうとも思いました。寿司を握る技術を身につければ、家族旅行で思い入れの深いオーストラリアで暮らすこともできるかもしれない。人生の可能性が広がることに魅力を感じ、寿司職人になりたいと思うようになりました。
ーー寿司職人になると決めたとき、お笑いの世界に未練はなかったのでしょうか?
未練がなかったと言えば、嘘になります。最初はお笑いを続けていく手段のひとつとして、寿司職人を目指した部分もあったように思います。でも、飲食人大学で寿司職人を目指して学ぶ中で、寿司の奥深さと魅力に気づき、今はお寿司のほうをメインで仕事にしていきたいと考えています。意識が大きく変わりました。
ーー寿司職人を目指すにあたり、飲食人大学で学ぼうと思った理由を教えてください。
短期間で寿司職人になれる点が決め手となり、飲食人大学に入学しました。寿司職人を目指すと決めたとき、私は37歳でした。新たなチャレンジをするには、少しの時間も無駄にしたくはなかったんです。さまざまな情報にあたる中で、飲食人大学を見つけ、「求めていた学びができるのはここだ!」と入学を決めました。
飲食人大学での学びを糧に、寿司職人の第一歩を踏み出して
ーー実際に、未経験から入学していかがでしたか?
とても充実した3か月を過ごせました。寿司を握るのが初めてだったこともあり、最初の頃は授業の中で怒られてばかりでしたが、できることが少しずつ増えるにつれて、楽しくなっていきました。私よりも年上の同級生もいて、学校でいろいろな人に出会えたことも、良い経験になりました。
ーー授業の中では、具体的にどのようなことを学んだのでしょうか。
魚の捌き方を実践で学んだり、大きい魚を扱う場合は、保存の仕方なども学んだりしました。普段食べないような魚の部位を、揚げ物や汁物にするレシピなども教えていただきました。「実践8割」で学ぶ学校ですから、自分で実際にやってみて覚える技術がたくさんあったように思います。
実践の中では、講師の各生徒へのアドバイスが本当に的確だったのをよく覚えています。生徒のことをよく見て、特徴を把握されているんだなと感じましたね。私はよく「仕事を丁寧にやることで、同じクオリティを保ちなさい」と言われていました。自分の弱点、苦手な部分を突かれた言葉だったので、このアドバイスは今も肝に銘じて、仕事をしています。
お笑いの世界から方向転換して飲食人大学に来たこともあり、最初の頃は上手くできないことの多さに挫折しそうになることもありました。でも、少しずつできることが増えて、カウンターでお客様と対面しながら寿司を握る経験をしたとき、お笑いで培った経験やスキルを活かせると感じたんです。
上手い料理を作る人はいくらでもいるからこそ、私はお客様とのコミュニケーションを大切にして、最高の時間を提供できる寿司職人を目指したい。学校での学びを経て、そんなふうに思えるようになりました。
ーー飲食人大学入学前から、「江戸前スタンドとろ安」でアルバイトをされていたそうですね。アルバイトの経験も、飲食人大学での学びに役立ちましたか?
そうですね。「江戸前スタンドとろ安」では、飲食人大学に入学する半年ほど前から働き始めたのですが、実は学校の系列店だとは知らなかったんですよ。系列店だと分かってからは、調理場を経験させてもらったり、店長から直々に指導していただいたりと、寿司職人を目指すうえで本当に良い時間を過ごさせてもらったと思います。
飲食人大学に入学後も、夕方から夜のシフトでアルバイトを続けていましたが、職場で学べることは多かったです。
ーー現在は正社員になられたそうですね。
はい、6月末に飲食人大学を卒業し、7月から正社員に昇格しました。調理場を一人で切り盛りするだけでなく、アルバイトの方々に指示を出すなど、アルバイト時代よりも周囲を広く見渡して仕事をする機会が増えました。
実は今、うちの店にお笑い芸人として活動中の方がアルバイトとして働いているのですが、私が彼らに指示出しする立場になるとは少し前まで想像もできなかったので、とても不思議な感覚です。
ーー飲食人大学の学びの中で、今の仕事に活かせていることはありますか。
飲食人大学の系列店で働いているため、大学で学んだ技術やレシピをそのまま活かすことができています。学びを実践に変えて、寿司職人としてのスキルを磨けているため、本当に良い環境で働かせてもらっているなと感じますね。それこそ、学校で使っていたノートもよく見返しています。もっときちんとメモを取っておけばよかったと思うこともありますよ(笑)。
寿司職人として広がる夢
ーー寿司職人として、着実に経験を積んでいるのですね。ところで、お笑い芸人としての活動はもう完全にやめてしまうのでしょうか?
いえ、実は今でもボランティアのお笑い芸人として依頼があればステージに上がっていて、ひっそりと活動を続けています。私を応援してくださっている方もいますし、15年ほど一緒にお笑いをやっていた仲間も「いつでも戻ってきていい」と言ってくれているので、これからもチャンスがあれば、ライフワークの一環としてお笑いを続けていきたいです。
ーー今後の夢や目標について教えてください。
まずは今勤めているお店を超人気店にしたいと思っています。私の握った寿司で行列ができるくらい、お店を盛り上げていきたいです。いずれは海外の寿司店で働いたり、格式の高いお店での職人経験も積みたいとも思っていますね。
あとは、飲食人大学で出会った先生が本当に素敵な方ばかりで憧れを持っているので、最終的には指導者や寿司職人をサポートする仕事にも携わりたいです。
ーー最後に、入学を検討されている読者にメッセージをお願いいたします。
飲食人大学の先生方は本当に優秀で、寿司を学ぶのにとても良い環境がそろっていると思います。私も未経験で入学しましたが、3か月間みっちり学ぶことで、本当に寿司職人になることができました。飲食人大学に入るかどうか迷っている方がいたら、ぜひ入学して、勉強できる機会を活かしていただきたいです。本当におすすめしたい学校です!
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